八重山・3・チョウいろいろ(一)

チョウ好きにとって八重山とはひとつの楽園かもしれません。旅の初め、新石垣空港に着いて石垣市の中心街へ行くバスに乗っていた30分あまりの間だけでも、草地があって花が咲いていれば何頭もそこに寄っていて、とにかく、そこらじゅうピラピラと飛んでおります。東京でチョウを探すことの大変さ(ニューヨークはもっと過酷でしたけど)を思えば、やはりこれは楽園というべきです。

今回はチョウの撮影を主な目的として旅をしたのではなかったのですけど、いざ目の前に飛んでくればパブロフの犬のようにカメラを引っ提げて走って行くわけでありまして(笑)、まあたまたま出会った(八重山ならば普通に見られるような)ものを写しただけですが・・・

最も目につくのは、小型のシロチョウやキチョウの類を別にすれば、黒色系のアゲハの仲間でありました。よく見ると翅の傷んだ個体が多くて、なかなかいい写真にならないのですけど、たまたま新鮮なのが飛んできました。シロオビアゲハ、本土にはいない子です。


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シロオビアゲハ 竹富島 2016/5/7


スジグロカバマダラもあちこちで見かけました。


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スジグロカバマダラ 竹富島 2016/5/7


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スジグロカバマダラ 竹富島 2016/5/8


これと似たようなチョウをアメリカで見かけたのを思い出しました。英語でmonarchといい、北米ではチョウのモチーフといえばこれといった具合によく引き合いに出されるやつです。似てますが、よく見比べるとあちこち違いますね。


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(再掲)オオカバマダラ ニューヨーク植物園 2014/10/12


最後に、同じマダラチョウでも白く大きくて目立つやつ。日本で最も大きくなるチョウなんだとか。集落の周辺でもしばしば見かけるのですがなかなか止まってくれず、結局写真に撮れたのは飼育施設の中でした(-_-)


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オオゴマダラ 由布島 2016/5/9


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オオゴマダラ 由布島 2016/5/9


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2016-05-28 : チョウ : コメント : 8 :

八重山・2・西表島とは

西表島とは
雲をかぶっていることの多い島
水が豊富で稲作のできる島
亜熱帯ジャングルの島
謎のヤマネコの島
自動車で一周できない島
エコツーリズムの島

角度を変えますと、かつては
強制移住で集落を作った島
タコ部屋炭鉱のあった島
風土病マラリアでおそれられた島

今も車道のない西表島の西南部は、どこか取りつく島のない表情をしています。そこに、この島が歩んできた重苦しい過去も垣間見えるような気がします。


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西表島 船浮付近 2016/5/9


しかし山道をかき分けそこに降り立ってみると、陽光明るい海岸線のなんと静かで優しげな表情にあふれていることか。


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西表島 船浮付近 2016/5/8


この島の最果ての場所に集落を作って数百年間暮らしてきた人たちの記録を読み漁ったことがあります。疫病に怯えたことがあったかもしれないにせよ、また最後は過疎のため村を捨てざるを得なかったにせよ、そこに描かれていた暮らしの様子は明るく生き生きとしたものでありました。五箇山・白川郷でも考えさせられたことですが、かつての日本人はモノやサービスのない不便な境遇にあってもどっしりと暮らしていたようです。そんな先人の姿に胸をうたれるような気がするのはなぜなんだろうと、ずっと考えているのですが答に行き当たりません。


2016-05-21 : 自然 : コメント : 4 :

ゼロ戦を知らない子どもたち

グチです(^^;)

職場の若手に、仕事の秘訣をひとつ伝授してやろうと話していたときのこと。

人を一発で説得することを狙う紙を書くには、まずその相手の性格、相手が置かれた状況、相手の頭の中等々を知る。そして、説得のためにどういう情報が必要か、それをどういう構成や順番で出すかを検討し、ストーリーのアウトラインを描き出す。そこから肉付けしていき、主語・述語の整合性のような文法や箇条書きの相互排他的網羅性や指示語・代名詞の一貫性をチェックし、本筋に関係のない無駄や冗長の一切を大胆にそぎ落として、読めば一発で相手の頭の中に入るような文書に仕上げていく。これを短時間で作れるように訓練を重ねる。

結論から先に言えとか起承転結で書けということを言うやつがいるが、素人が表面づらだけなぞったところでますます分かりにくい説明になってしまうのがオチである。しかし上のようにやれば、説明はおのずとシンプルな起承転結になっていくものである。

たとえればこれは、工業製品の設計と同じである。まず状況を分析し、それに基づいて要求性能を明らかにし、大まかな概念設計をする。図面を起こすのはその後である。最初から図面を引こうとしたところでまともな製品にはなりようがない。云々云々・・・


ここまではまあよかったんであります。しかし、ここでゼロ戦の設計者である堀越二郎氏(故人)の例を持ち出そうとしたわたくしのセンスは、いまいちでありました。

  椿「たとえば、ゼロ戦はどのように設計されたか。きみ、ゼロ戦は分かるかい?それは知ってるよな?」

  若「え、それなんですか?」

  椿「・・・( ̄▽ ̄;)・・・」  で、気を取り直して、「じゃあ戦艦大和は?」

  若「あ、なんか昔聞いたことあるような気がしますけど・・・何ですか?」

  椿「・・・( ̄□ ̄;)・・・」

うーん、天下のKO大学を出た優秀な若者なんですが、こういうやつがゼロ戦を知らないってアリかよ・・・と、陰鬱な心持ちでおうちに帰った椿の茶屋でありました。時代は変わりつつあるのかもしれません。ひとつ学習しました。次から気をつけます(-_-)


2016-05-18 : ごあいさつ等もろもろ :

八重山・1・海の青さよ

学生時代から社会人になってしばらくの頃まで、旅に夢中になっていたことがあります。時間はあるけどカネはない時期。日頃の生活費節約とアルバイトで資金をひねり出し、休みになると周遊券と夜行列車とユースホステルを駆使して貧乏旅行して。野宿や駅寝をする仲間からは「ユースなんてぜいたく」「ビジネスホテル利用はブルジョワ」とか言われ、かたや伯父などからは「お前、カニ族やっとるんか」とか言われましてねえ。そうやって若いうちに47都道府県を全部踏んで見て聞いてというのをやったのは、今でも何かのコヤシにはなっている気がします。特にハマったのは(ありがちですが)北海道の道東・道北と沖縄の八重山で、本棚をゴソゴソやったらあの頃の証拠の品の一部が出てきました。この写真にスタンプが押してあるユースホステル14軒のうち8軒は現在なくなっています。なつかしい。

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八重山諸島へは大体、東京から鹿児島まで鉄道、鹿児島から那覇まで船、そして那覇から石垣まで南西航空の飛行機と乗り継いでいました。那覇~石垣線ではYS-11がバリバリの現役で、ビーーーンという独特の(機内にいるとかなりうるさい)エンジンとプロペラの音を聞きながら、4列座席の狭い客室に座り、地元採用と思われる美人揃いの乗務員さんに目を奪われていた(笑)ことを思い出します。


・ ・ ・ ・ ・


そんな思い出の八重山へもう一度行きたいと思いながら二十数年が経ち、今回やっとその機会に恵まれました。羽田から石垣に直行するジェット機に乗って新しい石垣空港に着いてから後、まず目を射てきたのは、これでもかっ!といわんばかりの(笑)海の青色の美しさでありました。これは変わりません。


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バラス島 2016/5/9
西表島の上原集落の沖にある白い小さな砂洲です。ダイビングショップの舟で渡してもらいます。以前ここでダイビングをやったことがあって、上陸は二度目。


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イダの浜 2016/5/9
西表島の南西の端近く、現在でも道路がなく船でしか行けない船浮という集落があります。そこからハブの出そうな山道をしばらく歩いたところに、人工施設ほとんどなしのこの浜がありました。日中はダイバーで賑わってます。


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コンドイ浜(竹富島) 2016/5/8


写真を撮って持ち帰ってみると、撮ったコマの半分くらいは青い海でした(笑) もちろん、海の青さばかりを堪能するために行ったわけではないのでして・・・あとは続きます(^^)


2016-05-14 : 自然 : コメント : 6 :

山深き春の宿

4月10日(日)、なんとか一生の職業の手掛かりを得てとある都市で大学生をすることになった上の娘の世話のため妻は出かけて不在、都会の高校生らしく何かと忙しい下の娘は試験が近い様子で朝からわき目もふらずにお勉強。ひとり残された(笑)おやじはすることもなく、しかし地図をぼうっと眺めていると思い当るところあって、出かけることにしました。

中央高速を河口湖まで行って進路を西に取り、本栖湖の湖畔を通り抜け、急なヘアピンカーブの峠道をそろそろと下りると、富士川の谷に達します。そこからさらに南アルプスの山ふところに分け入るようにして急勾配の心細い車道(アクセルペダルをかなり踏み込まないと上がってくれないのです・・・)を進んでいったところ、高い山の急斜面に、目指す集落はありました。

赤沢宿。人が徒歩で旅するのが当たり前であった時代、身延山への参拝者一行を泊める宿場町として作られ戦前まで栄えた、といわれる場所。地元の人々の努力があって、重要伝統的建造物群保存地区に指定され維持されているそうです。

日曜日の午後遅く、既に訪れる人はまばらで、村には静かな空気が流れておりました。雨戸と障子の木造家屋は、その多くが元旅籠です。なお、写真を撮るには手こずる場所です。狭い集落で<引き>がとれない上、そこかしこにある電柱と電線が画面のじゃまをするからです。



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赤沢宿 山梨県南巨摩郡早川町 2016/4/10


石で舗装された山道は、かつて参拝者で賑わったという身延往還。


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赤沢宿 山梨県南巨摩郡早川町 2016/4/10


南アルプスに連なる深い山々に囲まれて。


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赤沢宿 山梨県南巨摩郡早川町 2016/4/10


道路は狭くて急坂だし、外向けの駐車場が非常に少ないので、すれっからしの観光地になることはこの先もないだろう(そのくせ、このときどこかのTV局がドラマの撮影なんかやってました。椿の茶屋は関心がないのでスルーしましたが、車をどけてくれなんて言われまして・・・)と、いや静かな佇まいのままでいてほしいと思う場所でした。


2016-05-01 : : コメント : 6 :
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そうなったら、瞬間に向かってこう呼びかけてもよかろう。留まれ、お前はいかにも美しいと。

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